楳茂都 梅咲
PROFILE
本名、浅井弘江(あさいひろえ)。文楽三味線方の三代目豊澤龍助を父に、幼き頃より芸事に親しむ。楳茂都流の二世家元、楳茂都扇性の高弟である楳茂都泰永(やすえ)の元で舞の基本を学び、後に三世家元楳茂都陸平(りくへい)に師事。長く楳茂都流の中心にいて活躍し、陸平亡き後は、その志を受け継ぎ、文楽や歌舞伎に残る振りの伝承や指導にも力を入れた。また、日本舞踊協会関西支部長として上方文化の向上にも寄与。さらに、楳茂都流舞踊協会理事として、後進の育成にも取組み、生涯現役で流派を支え、その発展に努めた。
略歴BIOGRAPHY
- 大正10年2月12日 大阪鰻谷生まれ。実家は旅館“多巳や”
- 昭和元年六歳で北野演舞場にて初舞台を踏む、
演目は「禿」(かむろ)
楳茂都流入門 - 昭和13年十八歳で楳茂都流名取
- 昭和18年二十三歳で楳茂都流師範
- 昭和34年第一回 梅咲會 を桜橋産経会館にて主催
- 昭和41年梅咲の会 新歌舞伎座にて主催
- 昭和48年舞の会 国立劇場 初出演
- 昭和53年大阪文化祭賞 受賞
- 昭和60年師である楳茂都陸平 永眠
- 昭和60年大阪府芸術文化功労賞 受賞
- 昭和61年楳茂都流舞踊協会設立 理事に就任
- 昭和62年楳茂都泰永師 想い出の集い 国立文楽劇場にて主催
- 昭和63年大阪市文化功労賞 受賞
- 平成20年片岡愛之助、四代目楳茂都扇性の襲名に尽力
- 令和元年7月 日本舞踊協会関西支部長 退任 同相談役に就任
- 令和元年10月12日 永眠